翻訳と辞書 |
伊藤敬子 (俳人)[いとう けいこ] 伊藤 敬子(いとう けいこ、1935年5月3日 - )は、名古屋市東区生まれ、名東区在住の俳人。本名、敬子(たかこ)。 == 人物・経歴 == 愛知県立旭丘高等学校1年生のときに国語科教諭の呼びかけで俳句グループに入ったのが、句作のきっかけであったという〔ローズ vol.160(2013年7月号) 中日新聞社発行 より〕。その後金城学院大学短期大学部に進学し、卒業後にまもなく結婚。二児を育てた。しかしその間にも俳句は続けていた〔。 1955年 (昭和30年)には加藤かけいが主催する俳句誌『環礁』の同人となり〔『俳句』第64巻第6号 (2015年4月25日発行) KADOKAWA発行 10-11頁「俳句の時間48」より〕、加藤かけい、山口誓子に師事した (『環礁』にはその後、30年間在籍した〔)。1966年 (昭和41年)、31歳で初の句集『光の束』を上梓。同書は環礁賞を受賞し、同年それを機に俳人協会へと入会〔『俳句』第64巻第6号 (2015年4月25日発行) KADOKAWA発行 49頁「俳句の時間48」続き より〕。1975年 (昭和50年)には東海俳句懇話会を立ち上げた〔。そして、1977年(昭和52年度)4月、子育ての終わった41歳に愛知淑徳大学文学部国文学科3年次に編入〔『愛知淑徳大学の三十年』(平成18年9月2日発行) 愛知淑徳大学同窓会/発行、都築久義/編集 より〕。卒業後も大学院修士・博士課程に学び、博士(文学)を取得している。国文学の講師を含め、愛知淑徳大学に20年間籍を置いた。1980年5月には俳句誌『笹』を創刊主宰。『笹』は名古屋で初めての女性の主宰する俳句誌であった〔。2000年3月(平成11年度)にはそれまでの俳人としての功績から、愛知県芸術文化選奨文化賞を授与されている。現在は俳人協会評議員・愛知県支部長であり、角川学芸出版の月刊誌『俳句』で選者を、中日文化センターの俳句教室で講師を務めるなどしている。2005年 (平成17年)からは芭蕉顕彰名古屋俳句祭を開催するなど積極的に活動を行っている〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊藤敬子 (俳人)」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|